ストーリー
山王神社二の鳥居のストーリー
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【被爆前】
山王神社は、長崎県長崎市坂本に鎮座し、村社であった山王神社(日吉神社)と県社の皇大神宮が合併(皇大神宮側に合祀)して創祀された神社です。この山王神社の参道には、一の鳥居から四の鳥居まで、計四基の鳥居が建てられていました。
【被爆後】
原爆により、山王神社の正殿や社務所をはじめとする6棟の建物は全て焼失しました。
被爆当時、町内にいた者は約2,000人と推定されますが、爆風に吹き飛ばされ、あるいは倒壊した家屋の下敷きとなって1,300人余りが死亡しました。(長崎国際会館編「原爆被災復元調査事業報告書」1980 による)
「長崎原爆資料館 所蔵」
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「長崎原爆資料館 所蔵」
参道にあった四基の鳥居のうち、爆風に対して並行に建っていた一の鳥居と二の鳥居を残し、あとはすべて倒壊してしまいました。一の鳥居の間から遠くに、片方の柱のみとなった二の鳥居が見られます。
一の鳥居は、ほぼ原形を留めましたが、戦後の1962(昭和37)年、交通事故が原因で姿を消すことになります。
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二の鳥居は、爆風により爆心地側の半分が吹き飛ばされ、残った笠石は12度程度ねじ曲がりましたが、奇跡的に一本柱の状態でバランスを保ちました。
「長崎原爆資料館 所蔵」
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「長崎原爆資料館 所蔵」
金毘羅山への道筋にあたるこの坂本町一帯は、被爆直後から猛火を逃れて避難する人々が続々と山越えを目指して通過していきました。
【現在】
山王神社二の鳥居は、一本柱となりながら、長崎の街に今も立ち続けています。原爆の惨禍から逃れて避難する人々を見送ってきたこの鳥居は、その姿から原爆の恐ろしさを私たちに語り掛けているように思います。