長崎の被爆遺構

爆心地

1945(昭和20)年8月9日11時2分。アメリカのB29爆撃機から投下された原子爆弾は松山町171番地の上空約500mで炸裂しました。
原爆が炸裂した直下の場所が爆心地です。現在、原子爆弾落下中心地碑という黒御影石の柱が立てられ、この場所が原爆の被害の基点となった場所であることを伝えています。

爆心地

爆心地(国指定史跡長崎原爆遺跡)
1945(昭和20)年8月9日11時2分。アメリカのB29爆撃機から投下された原子爆弾は松山町171番地の上空約500mで炸裂しました。原爆が炸裂した直下の場所が爆心地です。
爆心直下の地表面の温度は、3000℃から4000℃ともいわれ、秒速440mともいわれる爆風が吹き抜けました。
被爆前、この場所は道路沿いに家や商店が立ち並び、その奥には三菱造船所の寮となる予定の場所がありましたが、それら全てのものは破壊しつくされ、一面、「原子野」と呼ばれた荒野となってしまいました。
この付近は遅くとも1948年には公園となっており、その当時は白い木製の柱に「原子爆弾落下中心地之標」と書かれた中心地碑が設置されていました。
現在の碑は、1956年に建てられた碑の表面を1968年に黒御影石に張り替えたもので、その前にある原爆殉難者名奉安箱には、原爆死没者名簿をマイクロフィルム化したものが収められています。
東側を流れる下の川の親水護岸には、被爆当時の地層が残されています。原爆によって壊された家の瓦やレンガ、その当時の生活用品などの瓦礫を川岸に埋設したもので、被爆により破壊された生活を今に伝えます。

MAP

長崎の被爆遺構

Nagasaki Atomic bomb remains