長崎の被爆遺構

べアトス様の墓

山里小学校の西側に細い道路があります。この道路は江戸時代の旧浦上街道のルート上にあり、その一角にベアトスさまの墓はあります。
1936(昭和11)年3月に建てられたこの碑は、原爆被爆時、爆心地から北へ約700m位置にありましたが、強烈な爆風にも倒れることはありませんでした。しかし、台の石と碑がわずかにずれており、爆心側の左側面は熱線で黒く焦げています。

べアトス様の墓

江戸時代以前、この碑がある場所も含め浦上地区はキリシタンの村として知られていました。
しかし、江戸時代、キリスト教が禁止されると、キリシタンは迫害・殉教の時代を迎え、やがて地下組織をつくり、250年あまり司祭不在で信仰を守り抜いた潜伏キリシタンとなっていきます。
ベアトス様の墓は、この迫害と殉教の時期のころ、ジワンノ・ジワンナ夫妻とその子ミギルがキリシタンへの見せしめとして、拷問され、火あぶりに処せられたと伝わることから、その殉教地として崇敬されている場所です。
「ベアトス」とは、ポルトガル語で祝福を意味する言葉の複数形で、聖人の位にあげられていないものの天国の至福をうけていると考えられている人のこと。カトリック教会における福者ではないものの、殉教者として崇敬を受けており、1936(昭和11)年3月、浦上教会の有志が石碑を立てました。「殉教者・ジワンノ・ジワンナ・ミギル之墓」と刻まれています。
山里小学校裏、旧浦上街道に沿ったところにあり、高さ3.0m、横1.1m、厚み0.6m。原爆で台の石と碑がわずかにずれ、爆心側の左側面は熱線で黒く焦げています。
潜伏キリシタン時代から脈々と受け継がれてきた、カトリックの信仰や文化が、原爆被爆ののちもこのように受け継がれていることも見ることができます。

MAP

長崎の被爆遺構

Nagasaki Atomic bomb remains