長崎の被爆遺構

旧長崎医科大学門柱

爆心地から600mに位置するこの正門には1.2m四方、高さ1.8mの門柱が左右に設置されており、左側の門柱は爆風の影響により9cmも前にずれ、台座との間に最大で16cmの隙間ができました。これは、爆風の圧力を測定する基礎となりました。
戦後、キャンパスの復興に伴いこの門は通用門として利用されることになりましたが、門柱は現在も被爆当時の姿を残し、原爆の悲惨さを伝えています。

旧長崎医科大学門柱

旧長崎医科大学門柱(国指定史跡長崎原爆遺跡)
1857年11月12日、当時の幕府から招かれたオランダ軍医のポンぺにより近代日本の医学は、長崎ではじまりました。この医学教育に源流を持つのが現在の長崎大学医学部です。
被爆当時は長崎医科大学と呼ばれていました。
この二柱一対の石柱は旧長崎医科大学の正門で、向かって左側は「長崎医科大学」、右側は「長崎医科大学附属薬学専門部」と刻まれています。爆心地から600mに位置するこの門柱は、1.2m四方、高さ1.8m、台座の上にまっすぐに立っていました。原子爆弾のさく裂により、向かって右側の門柱は山陰となり影響はなかったものの、左側の門柱は9cmも前にずれ、台座との間に最大で16cmの隙間ができました。これは爆風の圧力を測定する基礎となりました。戦後の調査で、門柱の傾きから原爆の爆風圧が測定されており、爆心地から500mの地点で1㎠あたり1㎏という強力な圧力がかかったと考えられています。
門柱の側面には石板がはめ込まれており、「わが師わが友、850有余もが死に果てし、長崎医科大学の正門門柱にて、被爆当時のままの状態を生々しくここに見る」と書かれています。

MAP

長崎の被爆遺構

Nagasaki Atomic bomb remains