長崎の被爆遺構

山王神社二の鳥居

1924(大正13)年10月に山王神社の参道の延長に伴い設置された鳥居で、被爆当時、神社の外側から数えて2番目の鳥居だったので二の鳥居と呼ばれています。
爆心地から南東へ約800mに位置し、爆風によって一方の柱は倒壊し、一本柱となり上部に残された笠木が反対方向にずれています。また、熱線による立っている柱の爆心側は鉱物が溶け刻字が読めなくなっています。
長崎を代表する被爆遺構の一つです。

山王神社二の鳥居

山王神社二の鳥居(国指定史跡長崎原爆遺跡)
山王神社(皇太神宮)は江戸時代に創建の円福寺に起源をもち、明治になって村社・日吉神社となりました。その後、県社・皇太神宮に合祀され、現在にいたります。
大正時代までは、大クスの付近までが境内地でしたが、路面電車が長崎市内北部に延伸したため、路面電車の停留所近くまで参道を伸ばすことになり、その参道にこの鳥居が置かれました。その後、更に参道を延長し、鳥居を設置したため、戦前は一の鳥居から四の鳥居の4基の鳥居が設置されており、外側から数えて2番目の鳥居であったことから、二の鳥居と呼ばれました。
原爆被爆により、一の鳥居は爆風に対して平行に立っていたため倒壊を免れましたが、三の鳥居と四の鳥居は倒壊、二の鳥居は北側の柱(爆心地側)が倒れ一本柱となり、残った南側の柱の上に乗っている笠木もずれています。
二の鳥居のすぐそばに、倒れた柱の基礎の部分があります。そこに立って、二の鳥居の方に手を伸ばしてみてください。二の鳥居の笠木がどれだけずれたのかご覧いただけます。
二の鳥居の爆心側とそうでない側を見比べてみてください。爆心側は原爆の熱線を受けた部分の鉱物の一部が溶け刻まれている文字が読めなくなっているのに対し、そうでない側はしっかりと文字が刻まれているのが見て取れます。
原爆がもたらした熱線と爆風の被害の両面を見ることが出来る遺構です。

MAP

長崎の被爆遺構

Nagasaki Atomic bomb remains